W800改W650カスタム〜第4章〜
決算前。
仕事に忙殺されるピークを乗り越え、鬼の13連勤をこなしてきました。うち9日間は出張ということで、ホテル暮らしの毎日でした。
今日は束の間の休みです。
気になっていたんですよねぇ。
バイク。
ホテルではすることもなく、おそらくはW650で検索されるyoutubeを見尽くしたと言っても過言でないでしょう。
ついでに、「triumph bobber」でも。
KIDさんもなかなかブログを更新してくれないので、今日はアポなしの突撃レポートを敢行しました。
前回は丸裸のW650にタイヤが装着されたところまで、お披露目されておりました。
今日のW650。
全体のバランスを整えてもらっていたところでして、フロントを約5センチほど下げてみたようです。
イイです!!
ノーマルだとけっこうフロントが立ち上がった感じになっていたのが気になっていたんですよね。私としては低重心で平たい感じが良くって、それって上手く伝え切れたかどうか心配してました。
前からの見た目も好きです。
ちょっとわかりづらいんですけど、タイヤが3インチ幅で細いんです。普段フロントタイヤに視線を遮られ、正面から見てエンジンを意識することはそうはなかったと思います。なのでタイヤの存在が小さくなることで、正面でもその後ろに控えるエンジンがハッキリと見えてて綺麗でした。そこまでの計算はしてなかったので、今日新たにタイヤサイズの選択に間違いはなかったかなと思いまました。
プリプリのfirestoneです。丸くて大きなお尻は見応えがありました。
いや、ホントに毎日のようにタイヤのサイズを思い浮かべていた日々が報われた感じです。
いろんな写真を見ていたあの日。16インチはけっこうボリュームがすごくて
「お尻が大きすぎるんじゃないか?」
と思い悩みました。現物を見に大阪に行っても店は閉まっているし、近所のバイク屋では16インチに相当するタイヤは置いてないし、ここまでくるとあとは潔さに全てを賭けるしかなかったわけです。
実際は写真ほど大きなお尻とは感じないし、それなりに主張もしていてかわいいもんです。もし、大きなおケツをバイクに望むような方は、もっと15インチとかにしないと「ブリブリ感」は出ないでしょうね。私は「プリプリ」で良かったので思い通りです。
次の宿題をもらって帰ってきました。
「外装をそろそろ考えないといけません。」
タンクは紺色にしてくらいのことは考えておりましたが、フェンダーの色や素材。特にアルミを使用するなら大きく路線と金額が変わるのでと言われました。
KIDさんが以前手がけたW650はこんな感じでアルミの質感をフルに生かしたバイクになっております。
これとは違い、色で塗り固めてしまうならアルミは高いしもったいないと。
さて。
また考えてみようと思います。
W800改W650カスタム〜第3章〜
KIDさんのブログが更新されていました。
http://kidcf.blog130.fc2.com/blog-entry-560.html
依頼主である私としては、こうしてブログで更新される我がバイクの変化を見るのはちょっとドキドキします。
KIDさんの言われるように、ここまではすでに打ち合わせ済みなので
「おぉ、ここまできたか!」
という気持ちです。
それでも、タイヤ選びで「ああでもない、こうでもない」と日々ネットを検索しまくっていたことを思いますと、感慨深いものです。
懸念しておりましたリアタイヤの16インチは思ったほどボリューム感も出ておらず、いい感じのまとまりでした。
まだ骨格がノーマルのままなので、ここからどのように変化を遂げていくのか楽しみです。KIDさんの目論見では、
「コンパクトな車体のままの方がエンジンの見え方がいいと思う」
ということでした。今のところロンスイ加工なしでリアサスを短くしてバランスよくまとめるんだと思いますが、アーティストKIDはどんな手腕を発揮するんでしょうか。楽しみです。
出来上がりが目的なのですが、このような製作途中がカスタムの醍醐味のような気もしてきました。
「参加してぇ!!」
素直にそう思います。
本の感想
【自分を変える習慣力】
三浦将著
またこりずに『自分を変える』系の本に手を出してしまいました。
「どうせ読んでも同じだから」
と本屋で何度も買うのをやめてきたわけですが、とうとう読んでみることとしました。
生活全体に影響が出るような習慣を「スイッチ」と表現し、その習慣化により人生観まで変えてしまおう。
そのために『潜在意識』に働きかけた習慣化が継続に非常に効果的だと。
脳の力(脳力)開発にも習慣化が役に立つんだと著者は述べておられます。
私はこの本を読んで、一旦自分の生活を見直してみたいと思いました。
生活そのものは今は絶不調で、
『ネガティヴ』
『自信喪失』
『他人が信頼できない』
『仕事へのやる気がなく辞めたい病』
そんなところにおります。
かつて転勤前は、仕事は営業のプレーヤーとしてうまくいっていて、売り上げは常に予算を越えていて、精神的にも安定しておりました。
離婚という生活の激変にも関わらず、むしろ新しい生活が私の心身を清めて行ってくれたようなそんな日々を過ごせたと思っています。
習慣というキーワードで言うならば、朝は必ず6時に起きて、朝ごはんを食べ、部屋の掃除に雑巾がけをして、軽いストレッチと筋トレをして会社に行く。それが身についていました。
食事も毎日自炊することが楽しく必ずやっていました。
大事なことは姿勢だと思い、猫背気味だった体を意識的に伸ばすよう心がけ、不思議と視界が大きく開けた毎日に自分自身が一番ビックリしたものでした。
言葉遣いも気をつけて、汚い言葉を慎み、それが習慣になると車の運転中でも穏やかな気持ちでいられるようになりました。
そうすると結果的に女性関係も良好でした。
いまは、全く逆です。
で、そんな自分には実は前々から危機感を感じていて、転勤して早々からチーム員への仕事への取り組み方に疑問を感じ、正しいと信じる方向性がみんなと合わず、不満を少しずつ貯めていくようになっていました。溜め込まないように起きた事実を書き出して客観的に見るようにしてみたり、欠点ばかり見ないよう良い点を書き出して、感謝の気持ちを持とうとしたりしました。
でもダメでした。
人からチーム員への不満を聞くような立場になったことも大きくて、管理職として無視するわけにもいかず、
「誰が仕事ができていて、誰が仕事ができてないか」
なんて粗探しみたいなことが始まり、それも不調の習慣に組み込まれています。
もっとみんなで同じ方向に進もうと、チームとしてあるべき姿みたいなことで、会議でプレゼンしてみましたが、結果的にベテラン達はほぼ無視する形で鎮座してますし、若手は辞めていき、1人は鬱という手で反旗を翻してきました。
上司からは部署内をかき乱され。(確かに数字が上がってないわけですから上司として放っておくわけにはいかないですしね)
で、最初の
「生活の見直し」
ということですが、実は悪い流れを断ち切ろうともがいていた行為そのものに悪い習慣があったのではと立ち返ってみました。
もがき過ぎたのです。
瞑想をやるんだと言っては継続しきらない。
ストレッチを毎日朝にやる生活に戻そうとしては途切れ途切れで習慣化されていない。
禁煙してみようと試みては、簡単に挫折する。
禁酒だーっ!!と言っては、
「今日もやってられっか!」
とビールを買って帰る。
キックボクシングを始めてみて、まぁまぁこれは週一ペースで8ヶ月継続しているので、良しとしましょう。
でも、またこの間仕事終わりに必ず行くぞなんて気合い入れていた自分を思い出します。
ジムについては、週4日くらいは行きたいと言ってましたが、これも週一くらいしかできてないんです。
「仕事帰りに必ず寄る」
って決めたのにやってない。
ナンパしてみたい、やりたい、やるぞーっ!
って言ってから何度地蔵を繰り返すことか。
年末にはカスタムバイクが届く予定になってますが、今の休みの日の予定に、さらに乗れる時間を取ろうなんて本当にできるのか?
仕事終わってから乗るのか?
ジム行くんじゃないのか?
管理職の勉強しなきゃとか言って本を買っていたけどやってんのか?
つまりやろうとしてできてないことが多すぎるんです。
何1つ習慣化されていないんです。
挫折の毎日なんです。
意思の疲労。
そんなことが書いてありましたが、まさにそれ。
だから、もう少し理想を下げていいんじゃないかと。
仕事でも私生活でも、できないことのオンパレードから、できることの習慣化を目指そうと。
この本にも書いてありました。
「やるべき習慣化は1つだけ」
と。
W800改W650カスタム〜第2章〜
http://kidcf.blog130.fc2.com/blog-entry-557.html
ついに始動しました。
KIDさんのブログに掲載されております。
まずは恒例の丸裸。
タイヤはKIDさんのおすすめで、DURO(最近名前が分かったようですね)を狙っておりましたが、在庫欠品中ということで、firestoneを購入してもらいました。ちょっと贅沢です。
さて。
どんな姿になっていくのか楽しみです。
本の感想
【禅の教室】
藤田一照
伊藤比呂美 共著
こちらも再読です。
最近、チョプラさんが提唱する瞑想法を渡邊愛子さんの本から抽出して、比較的軽い気持ちで続けおります。良いとか悪いとかそういうのは考えず、まずは言われているように20分やりきってます。
で、前回
「瞑想と坐禅の違い」
についてこの本でハッキリと思い知る事となったのですが、坐禅についてもう少し理解を深めて、今やっている瞑想が坐禅とはどう違うのかを認識したいと思うようになりました。
まず坐禅は苦行ではないという事について。
「(苦しくなってくるのは)自分で自分に枠を一方的に押し付けているからですね。私が頭で坐禅と言われるものを「こんなものだ」と理解して、その理解したものを「体」や「心」に命令してその通りやらせようとしている。坐禅は本来自発的でなくてはならないとわかっているけど、それじゃ本当の意味で自発的じゃないんです。」
「こうあるべきという坐禅が先にあり、その通りできないから苦しむんです。」
「坐禅というのは現状を受け入れるところから始まるものだったのに、僕は短兵急に現状を変えて理想に近づけようとしていたという事です。」
私もこうあるべきという方向に自分を仕向けてコントロールしようとしていました。例えば雑念が沸き起こる。眠ってしまう。それをどうにかなくそうと頭の中で躍起になる。でも、この本にも書いてありますように、その考え方だともっとこう内側にのびのびと広がる世界が見えないんですよね。
「強為と云為」
「テクネーとポイエーシス」
という言葉でこのコントロールしようとすることについて説明しておりました。
何かを意図的に導くのではなく、内側の催しに導かれて自然にやっちゃうこと。ポイエーシス。
を1つの理想として語られておりました。
もう1つ。
「坐禅は運動だ」と。楽に座るという運動をしているというのです。
「坐禅とは体と心をフルに活かして、仏教そのものを実地でやることです。床からの助けも使うし、空気も使うし、環境も全部坐禅の一部になっている。だから縁起の全体、私の関係性全部を使って坐禅をしていると言ってもいい」
「縁起の境界線はないから、それは宇宙大のネットワーク。全部を縁起」
「(だんだんと回を重ねるごとに)自然のままに、体にとって一番のところを探す。より良い坐相にどこまでも肉薄していく。」
「目も肩甲骨と同じで、自然にそう『なる』のを待つわけです。」
ここでも作為による坐禅を対立軸として、どのように取り組むべきかを示しておりました。
最後に雑念について
雑念が湧いてくることを責める必要はないと言っています。コントロールするのではなく、雑念を見つめるというか、雑念が湧いていることを把握する。そんな自分の今、に気づいていけるか。そのようなことが書いてありました。
坐禅はウンチをする行為と同じだとも書きてありました。
ウンチ=頭の中の思考
脳のクレンジング。
脳の浄化作用が坐禅だと。
雑念と上手く付き合う方法を伊藤さんが面白い比喩で答えておりました。
「頭の中にドアを2つ作って、1つのドアを開けるとそこから雑念が一気に頭の中になだれ込み、もう1つのドアから出て行ってもらう。」
つまり、雑念は沸き起こること自体自然で抗いようのないもので、それをどう自覚しどうやり過ごすかが大切なのです。
さてさて、再読により坐禅の理解を深めてきましたが、今取り組んでいる瞑想との違いについてはどうか?
ちょっと答えを出すにはちょっと急ぎすぎかな。共通していることが多いし、あえて違いを出しても理解が複雑になるような気がしました。
とりあえずもう少し静かに瞑想を続けてみようと思います。
本の感想
【何を捨て何を残すかで人生は決まる】
本田直之著
再読です。
「自分が本当にやりたいこととは何じゃろか?」
いまだに答えを見つけられていません。
「やりたいことから逆算して今やるべきこと、やらなくていいことを選別しましょう。」
そうやって促されてはみたものの、自分自身「やりたいこと」ってことに真剣に向き合ってきませんでした。
で、いつの間にかやるべき仕事量が多すぎたのかどうか、今となってはよくわかりませんが、毎日毎日とにかく目の前の作業を終えていくことで1日が終わる単調な日々が続きました。
少なくとも今やっていることは、私にとってつまらないもので、充実感を感じることができない日々だと確信しております。
それをいかに楽しみや充実感に組み込んでいくかが仕事ってやつなんでしょうけど、私はそこまで気持ちが上向いてきません。
とりあえず「やりたくないこと」「やりたいこと」をリストアップしてみよう。
本の中で紹介されていた手法を用いて、「やりたいこと」の間接的リストアップに着手してみました。
やりたくないこと
・持ち家をローンまでして買うこと
・物を溜め込む(いわゆるシンプル生活を継続したい)
・満員電車に毎日乗り続ける生活
・残業
20分ほどで書き出してみたのだが、意外とやりたくないことも出てこない。
で、やりたいこと
・子供との面会を月一でおこなう。仕事で阻害されるならそんな仕事を辞める。
・海外で暮らしたい
・シンプルで物がなく、暮らし軽やかに、質の高い物を大切に永く使い続ける生活を体現する。修理修繕をし、日々暮らしのメンテナンスをして、トータルとして質の高い暮らしを志向する。
・自分の存在意義を理解したい。宇宙の仕組みを理解したい。
・自分ひとりの時間を朝2時間、夜3時間確保したい。
ふーんって感じです。
このやりたい事やりたくない事を軸にした時、今の生活がいいのかどうか、どうなんでしょう?それすらも感度が鈍ってよくわかりません。
仕事が嫌になってきたら。
ちょっと精神的におかしなところにはまり込んできていると、ハッキリ自覚してるんです。その原因究明のため、自分のメンテナンスをしています。文章化して少し整理するためにこの場を使っております。
かつて結婚生活しているときにも、ほとんど八方塞がりのような心境になって、気持ちがすさんでしまっていたあの頃と同じ言動をしている自分を客観的に眺めています。
ブワーーーッと湧いてくる抑えきれない感情を物に当たるというタチの悪い日々に陥っています。でも物に当たって壊してしまうと、冷静になってやらなきゃよかったと後悔するのもわかっている。バレないように修復する時間の方が遥かに長くて面倒くさくていいことないのに、それでも抑えきれない。
いやー、良くない。
うまくいかないのは何なのか?
仕事がうまくいかない。
私生活が充実しない。
一体自分は何が欲しいのか?
人から信頼されていないのがわかるから嫌なのか?
信頼。
身内からの信頼。
信頼を感じる場面はあまりないと感じます。それはもしかしたら私が心を閉ざしているからかもしれません。
なぜ、心を閉ざしたのか?
思うように仕事がいかないから。
人からとやかく言われるのが嫌だから。
目の前の現実に苛立っているから。
いうことを聞かないチーム員に苛立っている。
なぜ言うことを聞かそうとしているのか?
自分が管理職だから。
自分が感じる仕事への危機感(これを怠ったら致命的になるという危機感を私のアンテナは感じている)が共有化できていない。つまり私の考え方が伝わっていない。理解してもらえていない。言うことが伝わらない。
なぜ伝わらないのか?
相手に受け入れるだけのキャパがない。
そのキャパを「やる気がないから」という思考で片付けるから、相手がバカに見えてくる。上から目線で相手を叱る。相手は嫌がる。言うことを聞かない。
なんでそんな状況に陥ったのか?
管理職になって、目指すべき方向性がバラバラだと感じた部署を、同じ方向に進ませたいと旗を振り始めて約半年。
「こういう風にウチのチームはやりましょう」
そうやって少しずつなーなーにしてきた事象にメスを入れつつ人に注意をしたり、時に深く仕事への取り組み方に言及して話し合いをしてみたり。そうやってきた半年の結果は、有望な新人が辞めていき、チーム員が鬱になって長期離脱。気がついて周りを見渡すと、退職間際のおじさん達は私の言動に関心も示さず、お願いすることもしてくれない状況。上司は信頼していない証拠として私を飛ばして部署の重要な決定を勝手に上奏し、私には報告も指示もない。
ここまできたら特効薬なんてないと思った方がいい。
状況を改善したいけど、明日になったら劇的に変わるなんてことはないと覚悟を決めた方がいい。
そうして少し自分が楽になった方がいい。
誰からも信頼されていない。
そういう不信感が自信を失わせ、態度に出るから悪いものしか引き寄せない。そういうことなのかもしれない。
ということは、これ以上悪くならないために、良いことしかしないように心がける。
コップの中の水が濁って汚い状況が今。
きれない水でコップを満たすことが最終目的。
その道程は、綺麗な水をコップに入れるしかない。入れ続けて濁った泥水を徐々に入れ替えていくしかない。
でも完璧を求めてはいけない。静かに水を入れ続けたら濁った泥水も自然に沈殿し始める。
ゆっくり。
ゆっくり。
ポタポタ流れる綺麗な水滴をコップに収めていく感じ。
綺麗な水を注ぐとはなんだろう?
笑顔。
言葉遣い。
人のためになる事を率先して行う。誰が見ていようとそうでなくとも社会に貢献する。ゴミを拾う。トイレの掃除をする。
イライラしたら、その気持ちがなくなるまで掃除をしよう。それならできる。
そうだ。できることをしよう。
それが私が立ち上げた旗印じゃなかったか!?
忘れたりフォローがおろそかになったり、チーム員にとって必要な仕事ができていなかった。それは必要以上に忙しかったこともあった。マネージメントができなくて、プレーヤーの仕事ばかりが増えていた。私の予算はチーム員と同じだけの予算になっていた。
こりゃあかんわ。
仕事量を減らそう。
それが怖かった。
何かしていないと意味がないと焦っている。
焦り。
もっと考えてみよう。何に焦っているんだ?
数字を取りに行きたいのに、人を行かせるしかないイライラ。思うように動かないチーム員。オヤジたち。ならばやってみせよう。
数字で黙らせてやる!
対抗心。
相手の仕事を否定している。
馬鹿にしている。
オレが正しい。
結果で証明してやる。
だからプレーヤーになってしまう。
周りは敵。
誰もついてこない。
早く辞めてくれたらいいのに。