boban10ban’s diary

ごく普通の41歳のサラリーマンが、日々のあれこれをつぶやいております。

仕事がうまくいかない(続)

1人で悩んでいると、悪い妄想がよい方に進むなんてことはあまりなくて、家に帰ると感情に任せてイライラするばかりの堕落した生活が続いています。

昨日まで会社のイベントを開催しておりまして、お偉いさん方が多数集結しておりました。僕らの部署は社内でも優秀とは言えない部分が多くて、そこに社長が切れるという事件が起きました。若い社員が多く、また、傭兵のような自分中心のチーム員も多く抱える僕らの部署は格好の餌食とされました。

当然部署の責任者である僕への風当たりは強く、
「なんなんだお前らは!」
の勢いで責められる2日間。本当に久々の屈辱でした。土足で家に入り込まれて好き勝手に言われ、いじられ、今までやってきた全てを壊されていくような感覚に、家長として為す術のない自分への自責の念が襲いかかります。

部署を任されると、他人からのチーム員への避難というのは、個人攻撃よりもずっと辛いものなんですね。自分の不甲斐なさからくる統率力の低下を責められ、チーム員を上司の面々が叱り、それを救うこともできない。逃れられないストレスにどうしたらいいかわからない。最低の上司です。

そうやって自分を評価してしまうと、それもまた、チーム員にとっても救いがない。落ち込んだ上司なんてただのクズです。そんなら僕のチームにいる彼らがかわいそうで、もうどうやって抜け出したらいいのかすらわからない。
あらぬ方向に勝手に舵を切られた船のように、僕らはいったいどこへ行くのか、その指針も示せないんです。

悔しくて、情けなくて。

確かに上司の面々が言うように、チームのみんなが社内で求められるレベルについてできないことがある。それに目をつむったり大目に見てきたり、そういう甘さはあったと思います。良かれと思ったことが裏目に出た。今はそれを覆す時なんだろうなと思います。

今日救われたのは、そんな悲惨な2日間を、みんなで思い出としていつか笑えるよねっていう空気が生まれたことでした。みんなの顔が笑顔だったんです。不思議です。塞いでいるのはあたかも僕だけのような、そんな感覚でした。

何が言いたいかというと、やはり、人に救われるということです。冒頭に言いましたように、1人で悩んでいると悪い方向にしか考えられず、1人で抱え込んでしまうもんなんです。そういうのをやめようと思っていながら引きづられてきましたが、もっとチーム員を信頼してみようと思いました。