本の感想
【センスは知識からはじまる】
水野学著
飛行機に乗る空いた時間に何か読み物をと探して買った1冊です。最近はこの手の本が豊富ですね。1時間くらいで読めて1500円くらいの単行本。新幹線の駅の中にも本屋があって、例えば新大阪は改札に入ってから探せます。
時間つぶしの本と言えばこれまで文庫本というイメージだったのが、最近は単価の高い読み捨てタイプの単行本になってきてます。
さてさて、前置きですでに脱線してしまいましたが、
「センス」
僕にとって20歳前後の頃はこの「センス」ってやつにコンプレックスを感じておりました。洋服をカッコよく着こなす友人達。映画や音楽に興じる友人達。お笑いを談じる友人達。芸大生美大生の振る舞い。どれもセンスがないとビシッとしまらないジャンルだと思っていました。
それにひきかえ僕ときたら、雑誌で見た髪型を真似してみても
「おっ?寝グセが直ってないな!」
などと真顔で心配されるし。
金のない僕は古着屋に行くしかすべもなく、そこで当時流行りのチビTなる洋服を買ってみても、どう見てもオカマの人たちのヘソ出しスタイルにしか見えない。
それでも買い直す金もないんだから着るしかないんですよ。オカマのTシャツを。
それ着て学校行って、1人友達もいなくて浮いた存在だった僕。
髪質に合わない長髪スタイルを模索した時は、自分の髪質がくせ毛の剛毛という前知識も知らず、
なぜだ!?
なぜだ!?
なぜだ!?
なぜアイドルみたいに、サラサラっとなびかないのか!?
なぜ髪の毛がまっすぐにならないのか!?
なぜ雨の日は髪の毛がチリチリになってしまうのか!?
そんなオレは一体どこの床屋に行ったら同級生の中でもチヤホヤされるような髪型になるのか!?
まーったくわからないまま、本当に自分自身にうんざりして、雨の日はよく学校を休んでいました。それこそ体当たりで知識を理解した青春時代でした。
「センスは磨くもんだ」
とはいうものの、どうやって磨いたらいいのかわからない。とにかくその「センス」がいいって人たちの真似をしていたように思います。
今でこそそんな突き抜けるほどにトンガったコンプレックスは感じなくなってきましたが、つい「センス」なんて聞くと、当時のセンチな気持ちを思い起こしてしまいます。
いやはや、前置きに続いてまた脱線してしまいました。
今の仕事を10年近くやってきて、著者の言う「センス」の良さをようやく「うんうん!」って言って理解できるようになりました。
著者も言うように一般的にセンスとひとくくりにされる概念は確かに数値に置き換えることが難しい、どこかぼんやりしたものです。
「オマエ、センス悪いな!」
なんて言われたら、人格全否定のような気もするけど、よくよく考えると
「で、いったい何がダメなの?」
って聞いてみたくなる。言った人も
「いやだからさぁー、センスよ。センス。わかる?」
なんて言いながら、当の本人も具体的にわかってない。
そんな数値化できない事象の良し悪しを判断し、最適化する能力。
それが「センス」だと定義されています。
「最適化」という言葉に僕はヒントがあると思っていて、それって絶対唯一の何かを指してはいないんです。
数ある中から最もらしいもの。
それが最適化と僕は捉えています。だから時代が違えば最もらしいものも違うし、明日になってもまた違うかもしれません。株や為替が動くように、その時のBESTにとらわれないことです。
で、そのBESTがわかるならその人はそれだけの判断が下せる知識を有しているということなんです。それが著者の言う
「知識からはじまる」
ってことなのだと思います。
自分にとって今日の晩御飯に一番ふさわしい物を食べようという時、間違いなく私自身が一番センスのいい判断ができるでしょう。それは私の情報を確実に捉え、嗜好や最近の食事の傾向を理解し、最も相応しい食事を選ぶだけの知識を持っているのです。足りないとしたらあとはレパートリーくらいでしょうかね。それも今の時代インターネットで検索できるんだから、調べられるよね。
っていう具合に、向かうべき仕事についても同様に知識の集積からやるべき方向性が見えてくる。そのようなことを書いていたと僕は解釈しました。
で。
僕は、ここまで書いて思いました。
その「知識の集積」すらしない人がどんだけいることか。同じ仕事をしていても理解の早い人と遅い人、遅いというか理解しない人。電源がオフになっている人がたくさんいます。
「調べろ」
って言ってもやらない人。
意図的に心をそうやって閉ざしているならまだ理解できるんですけどね。
僕はといえば、これを読んで早速昨日から右脳開発しようと決めました。果たして続くのでしょうかね。
ではでは。