運命ってヤツは。
宇宙の法則とか大いなる存在とか、物理的世界の2次元では説明のつかない存在。何か自分の背後に大きな力があるような気がしている。
最近はそんな事をよく考えるわけですが、さてていつ頃から興味を持ち出したんだろうと遡っていくと、小学4年生の時に感じた出来事が思い出されます。
学校からの帰り道。家の近くに建っているマンションの前を歩きながら、ふと
「運命って何だろう?」
そんな事を考えていました。
運命の人とか言うけれど、それって誰か出会うべき人が決まっていて、いつかそれが実現するって事だよな。
そのくらいの認識しかない当時でした。
で、
「出会うべき人が決まっているなら、他にどんな事が決まっているんだろう?」
そんな疑問を膨らませてみました。
学校の事。
仕事の事。
そういうのも全部「運命」ってヤツで決まっているのかな?
ならば、明日起きる時間も「運命」で決まっているのかな?
ならば今から自分がやろうとしている事も「運命」で決まっているのかな?
(ならば今から右手を差し出してみよう)
と考えて、そっと右手をポケットから出して見る。
これも運命。
次は左手。
これも運命。
ん?
これって自分の意思じゃないのか??
手を上げると自分で決めたら手が上がっていったわけで、あらかじめ決められた事とか言われてもねぇ。
そこでもう一度考えました。
「運命」が何か本のような物で、世界の未来まですべて網羅されているとしたら、僕がとった『右手を上げて、左手を上げて』という行動もすでに決められていたのではないか!?
〇〇年〇月〇日に、この人は手を上げる
みたいな文章がその本の中に書いてあるんじゃないか!?
すると、
もしかしたら、
まさか、
自分の意思というものまで「運命」で決められているのか!?
(右手を上げるふりをして、結局上げないみたいなフェイントをかけてみる)
えーっと、運命の本によると、
〇〇年〇月〇日 こいつは何を思ったか運命に逆らおうとフェイントしてせる。
そこまで決まっているんじゃないか!?
恐るべし「運命」。
夜の電車に乗って窓の外を見ていると、お月様がいつまでも同じところでずーっと追いかけてくる。それを眺めては、いつか月が遅れをとるんじゃないか!?と注意深く飽きずに見ていたのを思い出しました。
運命は僕の背後からお月様のようにずーっと僕の行動を見ていて、何をしてても
「そうするって決まっていたよ」
と声をかけてくる。そんな気がしたものです。
でもでも。
確かに運命で僕の行動は決められているけど、右手を上げようがあげまいが、結果的には運命で片付けられるかもしれないけど、どっちを選択するかは僕の意思だろ!?
つまりは運命ってのは、自分の意思の結果の事を言うだけなんじゃないか?
何もしなくても、それも運命。何かしたってそれも運命。
じゃあ自分がやると決めた事に素直に従ったらそれでいいんだ!それが運命なんだから。
ということで、当時の私は自分の意思=運命と捉えていました。
思えばこの解釈によると、運命というヤツは堕落した人間には冷たいものに感じるし、やる気のある人には自尊心を育んでくれるような気がします。
つまりは自分の世界の捉え方によって、良いも悪いも決まるってことです。