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boban10ban’s diary

ごく普通の40歳のサラリーマンが、日々のあれこれをつぶやいております。

運命ってヤツは。

宇宙の法則とか大いなる存在とか、物理的世界の2次元では説明のつかない存在。何か自分の背後に大きな力があるような気がしている。

 

最近はそんな事をよく考えるわけですが、さてていつ頃から興味を持ち出したんだろうと遡っていくと、小学4年生の時に感じた出来事が思い出されます。

 

学校からの帰り道。家の近くに建っているマンションの前を歩きながら、ふと

「運命って何だろう?」

そんな事を考えていました。

運命の人とか言うけれど、それって誰か出会うべき人が決まっていて、いつかそれが実現するって事だよな。

そのくらいの認識しかない当時でした。

 

で、

「出会うべき人が決まっているなら、他にどんな事が決まっているんだろう?」

そんな疑問を膨らませてみました。

学校の事。

仕事の事。

そういうのも全部「運命」ってヤツで決まっているのかな?

ならば、明日起きる時間も「運命」で決まっているのかな?

ならば今から自分がやろうとしている事も「運命」で決まっているのかな?

 

(ならば今から右手を差し出してみよう)

 

と考えて、そっと右手をポケットから出して見る。

 

これも運命。

 

次は左手。

 

これも運命。

 

ん?

これって自分の意思じゃないのか??

 

手を上げると自分で決めたら手が上がっていったわけで、あらかじめ決められた事とか言われてもねぇ。

 

そこでもう一度考えました。

 

「運命」が何か本のような物で、世界の未来まですべて網羅されているとしたら、僕がとった『右手を上げて、左手を上げて』という行動もすでに決められていたのではないか!?

 

〇〇年〇月〇日に、この人は手を上げる

 

みたいな文章がその本の中に書いてあるんじゃないか!?

 

すると、

もしかしたら、

まさか、

自分の意思というものまで「運命」で決められているのか!?

 

(右手を上げるふりをして、結局上げないみたいなフェイントをかけてみる)

 

えーっと、運命の本によると、

〇〇年〇月〇日  こいつは何を思ったか運命に逆らおうとフェイントしてせる。

 

そこまで決まっているんじゃないか!?

 

恐るべし「運命」。

 

 

夜の電車に乗って窓の外を見ていると、お月様がいつまでも同じところでずーっと追いかけてくる。それを眺めては、いつか月が遅れをとるんじゃないか!?と注意深く飽きずにいたのを思い出しました。

 

運命は僕の背後からお月様のようにずーっと僕の行動を見ていて、何をしてても

 

「そうするって決まっていたよ」

 

と声をかけてくる。そんな気がしたものです。

 

でもでも。

 

確かに運命で僕の行動は決められているけど、右手を上げようがあげまいが、結果的には運命で片付けられるかもしれないけど、どっちを選択するかは僕の意思だろ!?

 

つまりは運命ってのは、自分の意思の結果の事を言うだけなんじゃないか?

何もしなくても、それも運命。何かしたってそれも運命。

じゃあ自分がやると決めた事に素直に従ったらそれでいいんだ!それが運命なんだから。

 

ということで、当時の私は自分の意思=運命と捉えていました。

思えばこの解釈によると、運命というヤツは堕落した人間には冷たいものに感じるし、やる気のある人には自尊心を育んでくれるような気がします。

 

つまりは自分の世界の捉え方によって、良いも悪いも決まるってことです。