本の感想
【スモールハウス】
高村友也著
いわゆる『小屋』に暮らす生活を、海外の先駆者の6例をもとに紹介し、現代の日本では明らかに小さい家で暮らす事の意味を著者は問うています。
ムーブメントの一つとして、『ミニマリズム』のように、現代社会の過剰な消費経済に対し緩やかに離脱しながら、アンチ程には背を向けない暮らし方が脚光を浴びつつあります。
また、『持たない暮らし』だったり、『シンプルライフ』、もう少し具体的には『断捨離』というように、生活に必要な最低限の所有で、慎ましく暮らすといった傾向も同じだと思います。
その中で、究極的には最も大きな所有である『家』の考え方をもう少し見直してもいいんじゃないかという話から始まります。
著者の真骨頂は、最終章の第6章ではないかと思います。
プロフィールをよく見ると、『哲学科』の専攻という事で、文章の滑らかさ、主張の自然さが他の章と比べて全く違っていて、
「ギアが入ったな!」
と感じるようになりました。シンプルな小屋に暮らす事の哲学的な切り口、『暮らし』から『生き方』へスライドし、エピローグで『死生観』に至る最後の山場が大変面白かったです。
小屋で暮らすことによるメリットとは、経済的にも支出が軽くなることで、より自分のやりたい事にお金を回せること。便利になりすぎた世の中を維持するために、自分の時間をあまりに多く投資し働き続ける事の虚しさ。
より多く消費し、より多く稼ぐ。
そのような今の経済のあり方に疑問を提示しています。
しかし、私達は経済的な豊かさなんて求めなくてもいいんだとは思わないはずです。
先日も著名な誰かが
「もう日本では経済成長を望まなくてもいいんじゃないか」
と言った事で物議を醸しておりましたが、『豊かである事の意味』が、高度成長期の時とは違い、今の私達には分からなくなりつつあるように思います。
私の考えとしては、
人間は障害を持った人とともに暮らせる世の中=社会を形成してきたことが、動物とは違う側面だと思います。
生活弱者が障害を感じることなく、健常者と同じように暮らせる社会を作るためには、豊かさを追求し続ける必要があるなではないでしょうか?
国がより豊かになることで生活インフラが整い、生活弱者が暮らしやすくなる。それを実現するためには、経済を回して国民が税金を納めていく必要がある。『豊かになる意味』とは、人間誰もが平等に生活に最低限必要な何かを自分の力だけで享受できる事である、と今の私は一つの回答を持つに至りました。
少し脱線しましたが、要は『アンチ消費社会』の象徴として
『小屋生活』
があるという考え方には反対です。
小屋で暮らすメリットは、個人的には固定費を減らし、大きすぎるローンに悩まされる事なく過ごせる自由を自ら手にする事だと思いますが、万人が
『そうすべきだ』
ということではありません。
しかし、自分の生き方を見つめる方法として先のシンプルライフだったりミニマリズムだったりは有効です。決して自分の生き方そのものを世間一般的なお仕着せの価値観に委ねたりしないぞという強い意志を、この『小屋』にも感じます。
どういう生活がしたいか分からない
そういう人が私を含めて非常に多いと思います。どうなりたいか考えなくても生きていけるほどに日本は豊かになり、また豊かさのモデルケースが次から次へと提示される中で、無意識に扇動され働かされ続けている。そのように感じます。
少しでも意識的に自分の生き方を見直すきっかけになればと思います。