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boban10ban’s diary

ごく普通の40歳のサラリーマンが、日々のあれこれをつぶやいております。

今日のモヤモヤ

うまくいっているのかどうか、自分の生き方をいつもチェックしているようなところが僕にはあります。大きく言うと、だいたいの時間をそれに費やしているような気がします。モヤッとした気持ちになれば、そのモヤッとが何なのか探していきます。イライラしたら、そのイライラがどこから来たのか探してみます。大概そうやって自分のことを見ています。
相手のあることならば、その人の置かれた立場や状況を考えてみます。そこに自分の存在(社会的な意味付けを含め)がどういった影響があるのか、ないのか、要素として考えるようにしています。感情的に処理しないで物事を事象として見ると、周りの出来事がパズルのピースのように感じるのです。ハマるピースを探してみる。ハマらないなら今はそのタイミングではないと諦められる。そのような思考の回し方を身に付けられた事に自分としてはポジティブな捉え方をしています。

昔に比べると「こうだ!」という強い思い込みが無くなったと感じます。正義と悪という対立構造ではなくなった気がします。良いのか悪いのかは別として、「そんな事もあるさ」と考えている気がします。

その中で大事にしているポイントを探してみますと、結果として望む形が自分の利益だけではなく、みんなの利益になるかどうかを軸に考えているのかもしれません。ここでいう「みんな」というのが曖昧で、最近の悩みどころです。
あちらを立てればこちらが立たず。
そういう場面が増えてきて、時にはある人にとっては損害が大きい事もあると感じました。それでも最大公約数を狙って決断を繰り返していく。そういう毎日が多くなりました。
僕個人的には理不尽を受け入れていく生き方にシフトしている現在、それでも理不尽を受け入れられない仲間にとっては、あらゆる場面でそれをどう理解してもらうのかが非常に難しい。同じ価値観で生きていく人ばかりではなく、そんな時に会社のルールという価値観に寄りかかって理解を促す。借り物の価値観に人を縛る行為がなんだかしっくりこないような気がします。
とりとめもない話ですが、今日のモヤモヤはそこなんです。自分としてはうまくいっているようないないような、実感として何も感じないんですよね。ピースをはめ込む事はできていても、全体として全然なんの絵が描かれているのかわからない。僕の問題として見ると、僕のでき上がって欲しい絵の全体像が見えてないという事かもしれません。
だからなのか最近新しい事をドンドン始めています。海外旅行の予約をしたりジムに入会したり、このモヤッと感を閉塞感として置き換え、打破しようともがいています。