boban10ban’s diary

ごく普通の41歳のサラリーマンが、日々のあれこれをつぶやいております。

【本の感想】

翔ぶが如く

司馬遼太郎

 f:id:boban10ban:20161019195819j:image

 九州に引っ越してきて、この土地に興味を持つきっかけに、郷土の変遷を知りたいと思いました。

 昔大阪に住んでいた時は、奈良・京都を歩くと、かつて歴史の中心であった時代と時間を超えて目の前の風景を空想の世界で符合させる事が楽しみのひとつでした。新撰組が闊歩したあの時代の熱量や、仏教を政治の軸に律令制度を確立した人々の思いとその他大勢の農民というか一般の人々の暮らしを今の風景から想像する。

 そういう意味では、近畿圏というのは日本人にとって誰もが馴染みやすい場所だと思います。特に戦国時代の華々しい歴史の中心地であり、大河ドラマや時代劇でもしばしば登場するため、教科書でしか知り得なかったモノクロの事実に、人々の感情や人間模様と土地の特徴が着色され、ひいてはその土地に馴染みを持つに至ります。

その大いなる助けになったのは、司馬遼太郎さんの小説でした。

 

九州に引っ越してきて、こっちの歴史上の人物を中心に本を探してみると、読み物が少ないんです。確かに物語として成立しにくい歴史だったと思います。統一政権の大きな勢力に最後に対抗するくらいにしか歴史に登場する機会がないです。

 しかしこの地域にも歴史はあるわけです。それを今回は鹿児島県・薩摩に感じてみようとこの本を読みました。

 歴史の表舞台に初めて出てきた薩摩人。その歴史は古く鎌倉時代からの代々続く島津家は他家の士族とは一線を画しております。島津義弘、義久、斉彬。傑出した逸材の藩主が続いた奇跡もそうですし、熟成された歴史の中に、薩摩の何たるかを知り、鹿児島の地を歩く時ここにどういう人たちが暮らしていたのかを想像してみたいと思います。

 

『ともかくも西郷らの死体の上に大久保が折りかさなるように斃れたあと、川路もまたあとを追うように死に、薩摩における数百年のなにごとかが終熄した。』

(10巻 最後の文章)

 

数百年という時間の重み、薩摩人という独自の文化、それらがただ一点に向かって収束していくこの感じ。ほとんど知らない薩摩文化を前半で吸収しながら、後半で一気に崩壊に導かれていく。まさにその文章は読んでそのものの感想です。

 

鹿児島に知人ができたんで、今度この本の台詞を薩音で読んでもらおうと思います。