キックボクシングの試合を初観戦
今日は待ちに待った休みの日であります。
また無駄に15連勤とかしちゃって。
で、その間ほとんど肉体労働してて。
で、栄養補給にプロテイン飲み始めてて。
いつの間にか仕事を筋トレにすり替えておりました。
そんな筋トレも何のためにしているかといえば、キックボクシングのためなんです。
そのキックボクシング。
今日は福岡で試合があるというので、早くからチケットを買って見に行ける事を楽しみにしておりました。
RISE WEST
何せ人生初のキックボクシング観戦という事です。昨年タイに行った時に、ムエタイの試合を見ようと会場を探し回ったけど見つからず、結局断念して帰ってきた過去も加味したならば、長いこと「お預け」状態でした。
午前中開始のアマチュアの部では、初めて試合に参加される方々や、ある程度の経験者までいろんな試合を見させてもらいました。
「あと4年以内にこの試合に出る」
それが僕の密かな目標なんです。4年といえばその年に44歳になっているわけですが、離れて暮らす我が息子も小学校6年生になっております。彼は離婚した母親と再婚相手の元で暮らしておりますが、彼はテコンドーをやっているそうです。とは言え一度も練習を見に行ったことはありません。どの程度のものか知りませんが、毎月の子供との面会よりもそのテコンドーの練習が優先させるという熱の入れようです。(母親がね)
そんな彼が、
もし、
小学校6年生になるまで続けていられたなら、
そん時は親子で勝負したろうと思っています。
男同士の真剣勝負です。
異種格闘技戦ですけどね。
いや、ほんで圧倒的な勝利を手にしたいので、試合に出れるくらいのレベルには達しておきたい。欲を言えば勝ちの経験をしておきたい。
44歳で子供にのされるようではあかんと思います。
さて、話はRISEに戻ります。
後半のプロ選手の部はあっという間の3時間でした。
「12試合とか黙って見てられるのか!?」
と初観戦の僕は、最初は途中で飽きるような予感がしていましたが、いやいや、全くそんなことはございませんでした。
そりゃ、すごい迫力です!
この殴り合いの戦いってヤツは、紀元前から興行として人々を魅了してきた競技なんですよね。歴史は相当古いですね。
単純明快。
強い奴が勝つ。
ただそれだけ。
なんか不思議な光景でした。
練習の量を増やそうと心に決めた今日でした。
断捨離・禅・ミニマリストへの考察
http://newsphere.jp/national/20160621-2/
ミニマリストの話が出ていましたが、
「物を大切にする」という根っこではどっちも同じだという事に目を向けたほうがいいと思います。報道ではついついどっちの「方がいい」みたいに優劣がついてしまいがちです。
物がない方がいいか、物はあってもいいかではなく、どっちでもいいんです。
極限まで少ないものを1つ1つ大切にする事もありだし、大好きな物に囲まれて暮らすのもありだし、どっちも正解でしょう。
個性的な物が少なくなっていく時代を嘆き、そんな時代の寵児であるユニクロや無印に愛着が持てないというなら、その人はそんな買い物をやめたらいいだけではないでしょうか?人がどうこういう問題でもないと思いますが。
幸せを求めて物を買い続ける飢餓状態に問題があるという事だと思うんです。
かく言う僕は物をなるべく少なくする事に意義を感じます。テレビもなくしたし、炊飯器もなくしたし、何かに依存した生活をしたくないんです。ただそれだけです。
糖質制限ダイエット初日で諦める
正確には昨日の夜から「糖質制限ダイエット」なるものを始めました。最近の流行りですよね。去年の夏に会社の先輩が独自に始めて、劇的な痩せ方をしてインパクト大だったものですから、なんとなしに始めてみました。
とはいえ僕の体重はさほどのメタボではなく、むしろやせ気味に分類されるのです。179センチで体重が65キロ。体脂肪率で18%くらいでしょうか。
僕としては、体重を増やしたいというのが最終目的なんです。
よく年を取られた方で、ガリガリに痩せている方を見かけると、将来の自分のような気がしてて、ちょっと嫌なんです。別に太っていないから特別に生活習慣病のような心配は少ないのかもしれませんが、脂肪・筋肉が少ない分だけ人としてのエネルギー不足に陥る事が僕は心配なのです。
その会社の先輩は筋肉質でかつ脂肪質な方で、いわゆる引き締まったお相撲さんのような方です。その彼が大昔大病を患った時、しばらく何も口にできない状態が続いたそうです。当然激やせをするわけですが、体に蓄えられた筋肉と脂肪で生命エネルギーを補っていたことで、その後の復調も早かったというお医者さんから聞いた話をしてくれました。
やや痩せ気味の僕としては、これから年を重ねていくにあたり、まだ訪れない大病に対する策として、体作りが必要だろうと考え、昨年からジムに通ったりキックボクシングで基礎体力の向上に努めているわけです。
さて、そんな僕は1年近くジム通いをやってきても体は一回り大きくなったわけでもなく、体脂肪が若干減ったものの、全体的には皮下脂肪が取れないでいました。もっと筋肉質でかつ体脂肪率を減らした「ムキムキ」体型に軸足を置こうと考えて、昨晩から糖質制限を始めたのです。
ところが、今日一日中お米・パンを一切食べずに高タンパクな食事でお腹を満たしてきましたが、夜になってお腹が空いてもうふらふら〜なんです。18時の時点でけっこうキツかったです。
「こりゃいかん!」
という事で、ローソンの「ブランシリーズ」のパンを買ってお腹を満たしておこうと間食を買いに出かけました。
http://kenko.lawson.jp/smt/recommend/
こちらは糖質を抑えた粉で仕上げており一個の糖質がかなり低いという優れものです。僕はブランチョコロールパンを食べてエネルギー補給といたしました。
美味いんですねぇ。粉っていうやつは。改めてお好み焼き、パスタ、パン、今までの人生何気なく食べてきた食事が、いかに粉もんに支えられてきたかを思い知らされました。
ところがそれでも力が戻ってくる事はなく、家についてサラダやチキン、チーズとゆで卵を食べて体力の回復を図ろうとし、スマホで投稿している今がそこから約2時間後。
からだは眠たいばかりでヨガやストレッチをしようという気力が湧いてこないんです。
という事で、今日1日を反省し、明日は夜ご飯以外でご飯などの炭水化物をしっかりとって、即効性のエネルギーを取ろうと思います。
明日から体力勝負の「家具の搬入展示、搬出梱包」が続きます。へばってしまったら誰も助けてくれないので、やはりご飯をしっかり食べる生活の基本に戻ろうと思います。
なんか最近膝の調子も良くなくて、今日医者にみてもらいに行ったのですが、半月板か内側靭帯の損傷の疑いがあります。この辺の話はまた別にしたいと思います。
ではでは。
本の感想
【何を捨て何を残すかで人生は決まる】
本田直之著
本のタイトルにはキャッチーな言葉が使われて、出版社の思惑通り僕は新書コーナーで目を奪われたわけです。
先に読んだ堀江貴文さんの本にも通ずる事が多いと感じる内容でした。この時代若くして事業に成功した人には、共通する何かがあるもんだなぁと感じました。
「やりたい事を突き詰めて考えると、やるべき事とやらなくていい事が出てきて、それを自分の頭で考えて取捨選択の決断をして、自分の望む人生を歩んでください」
そんなメッセージを受け取りました。
堀江貴文さんは
「やりたい事をやっちゃいなよ」
と言い、
本田直之さんは
「やりたくない事はやらなくていい。本当にやりたい事・必要な事をやりましょう。」
と言います。
2人の意見の先にあるものは同じです。本田さんは本文全体を「しない・持たない」と否定語で私達に問題提起して、常識にとらわれた感覚を揺さぶり、読者の本当に大切にしているものは何かを考えさせるようになっていたと思います。
本田直之さんは対立軸に「他人が設定したあるべき姿」「やらされ仕事に代表される思考停止状態」を持ち出し、自分が生き方を自由に選択するんだぞと教えてくれています。
苫米地英人さんの「アファメーション」理論を容易に紹介している本を読んだ事があるのですが(内容に間違いがあっても悪しからず)、セルフイメージを守ろうとする脳の恒常性維持機能により人は同じ事・変わらない事を好むように仕組まれているらしいです。そのセルフイメージを植え付けているのはいわゆる世間というやつで、親だったりマスメディアだったり、そういう外的な情報で私達の「あるべき自分の姿」というのはできあがっています。
そのセルフイメージを守ろうと脳は人をコントロールするんです。だから人は積極的に「変わらない」選択を繰り返しているわけです。口では「変わりたい」と言いながらも、脳は変化を望んでいない。
しかもそのセルフイメージは誰かの扇動によってもたらされた価値観なんです。
と、前置きが長くなりましたが、つまり自分の頭で考えた「本当にやりたい事」というのは容易に実現できるわけではないのです。
そこで小さな抵抗というか、自分を見つめ直すのにいい機会が
「ルーティンを崩す」
というものだと思います。毎日の通勤に使う道を変えてみるとか、当たり前だと無自覚になっている日常にあえて疑問を呈する事で、自分の頭を使って考える機会が与えられるのではないでしょうか?
私自身以前から言うように「やりたい事って何じゃろか?」状態なので相変わらず結論は出ないのです。
でもでも、本田直之さんが書いていますように、毎日持って出ているカバンの中身をリセットするとか、自分の周りの小さな出来事についてあえて見直す事が、「やりたい事」へのスタートになり得るのかもしれません。それならできそうです。
昔の朋友
思えば12年前。
僕は木工職人になると言って、富山の学校に入学しました。社会人から学生に戻り、高校を出たばかりの皆さんと一緒に勉学をともにしたのです。
学校自体が特殊で、工芸を主に教える短大だったので、木工・漆工・金工のコースがありました。その他にもデザインコースもあり、いわゆる芸術系大学の範疇にありまして、集まる学生たちも個性的で魅力的な人ばかりでした。
僕はというと、社会人からの出戻りということもあり、年が違うというだけで多少の個性を出していたように思います。同年代に囲まれたなら、決してそんなオーラも出てない控えめな僕ですが、若い同級生や留学生、それに僕と同じように出戻り組の人たちといった多種多様な人達と楽しい学生時代を過ごすことができました。
さて、わざわざ社会人から学生に戻った僕ですが、今は職人としてではなく、営業職としてもう10年近くたってしまいました。
学生当時は木工職人として仕事をしている事に疑いも持ちませんでした。毎年卒業生の中で木工に携わらない人たちも多くいるのですが、僕自身がその木工に携わらない人になるとは思いもよりませんでした。
今、Facebookで繋がっている学生当時の友人達は、木工・デザイン・漆工を続けている人もかなり多くいます。僕は鼻息荒かったにもかかわらず早々と離脱。
純粋に着実に活動を続けている彼らを眩しく見つめております。
かつての僕がなりたいと夢見た姿が彼らの今なのです。
そんな彼らのこれからを応援し続けようと思います。